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金持ち大国や多国籍企業の都合で貸し付けられた途上国債務の帳消しを! 債務、世銀・IMF、ODA、南北問題など、翻訳モノを中心にテキトーにupします。

2024-11

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日本はもう6月ですね。

こちらは5月31日。
そして今日はEU財政条約のアイルランド国民投票投票日。

投票締め切りは夜の10時。
しかも、こちらの選管は夜はしっかり休むので多分開票は明日の朝からだろう。
投票率は午後2時半の段階で25%以下だそうだ。

この条約は加盟国が財政赤字と債務の各GDP比を決められた範囲(赤字は0.5%債務は60%)に抑える目標に向けて必要な政策をとる。取らなければ他の加盟国に
欧州司法裁判所に訴えられる可能性もある、というものだけど、
一方で、今回の経済危機を引き起こした金融市場規制や銀行の運営取締りには
まったく言及がない。

日本のマスコミ始め多くの人は、
「欧州のダメダメ国のやりたい放題わがままの尻拭いをしつつ、
EUの屋台骨を支える英雄ドイツ
というイメージを描いてるみたいだけど、
ドイツはこのダメダメ国のお陰で
ユーロを安く抑えられて自国の輸出を有利にしてきたわけ。
どうせユーロで一人勝ちしてるんだから、イヤなら出てけば?
でもそしたらドイツマルク、ぐーんと上がっちゃいますけど。

ギリシャのめちゃくちゃな経済運営たって今に始まったわけでもなく、ずーッとそうだった。
じゃあ、そんなめちゃくちゃな経済運営の国になんでみなさん、そんなに貸したの?

貸した内容には疑わしいものも多くて、ドイツの企業もたくさん関わっている。

重たいので恐縮だけど、↓ の20ページ以下参照
世界債務レポート2011

まあ、それはさておき・・・・

今回の国民投票、現フィナ・ゲール&労働党・EU太鼓持ち政権は

ともかく可決しないとEUに顔向けできないとばかりに

「否決したらもうどこからも金が借りられない」
「EUから出て行かなくてはいけなくなる」
「どこの海外の企業ももう来てくれない」
「NO投票が多かったら大幅増税を実施する」

と、これって恐喝?!

大体さー。
なんで金がいるかっていうと、ドイツやフランスの銀行を含む債権者
(投資家)に破綻したアイルランドの民間銀行の借金を国が肩代わりして返すためで、
で、今回なんでこの条約を決めるかってのも、市場の信用を回復するためって、
その市場って結局「投資家」でしょ?

なんで命削ってまでご奉仕せんといかんのか。
というよりなにより。

こういう脅迫まがいで「大変だー!」「大変だー!」って、
なんかウソくさいんだよね・・人をパニックに追い込んで一番得するのは誰か・・。

どっかの国の「電気が足りなくなってもいいんですか?!」を思いだす・・。

なんかさー、「解決方法はこれしかない!」みたいにして迫ってくるんだけど。
そんなんウソだと思う。

みんなで知恵を出し合って、そしてお互い足を引っ張らないで力を合わせれば
解決できるはずなのに。

三人寄れば文殊の知恵

でも逆に人々に意見を言うチャンスは与えない。
本当はアイルランドの国民投票だってさせたくなかった。

私だったら、逆にPIIGSで通貨連合作ってお互いに助けあったらいいと思うよ。
南欧っておいしいものたくさんあるしね、アイルランドはギネスとウイスキーを提供して
みなさんハッピ~ ってのはどうでしょう。

以下はニューヨークタイムズに載ってたノーベル賞経済学者アマルティア・セン
さんの論考の翻訳です。

そうよ、経済って本当は人間をシアワセにするために作られたはずなのに、
いまや逆に経済を"維持”するために人間を犠牲にしてでもいいからどうするか、
になちゃってる、ということを思い出させてくれました。

「欧州民主主義」って最初見たときは「皮肉ですか?」とか思ったけど、
でもEUの価値ってなにも経済だけじゃなかったはずなんだよね。
人間の価値が経済的価値だけではないのと同じように。

ということで、財政条約・国民投票日ですが、まあ、
深呼吸して、視野狭窄に陥らないように遠い緑の山でも眺めてみましょう


--------------

欧州民主主義の危機
アマルティア・セン (2012年5月22日、New York Times)

The Crisis of European Democracy
By AMARTYA SEN
http://www.nytimes.com/2012/05/23/opinion/the-crisis-of-european-democracy.html?_r=1

「地獄への道は善意で敷き詰められている」という諺を立証したければ、
今の欧州経済危機を見るといい。
EUの政治家の、立派に聞こえるが視野狭窄的目論見(もくろみ)は
健全な欧州経済立て直しに役不足なだけでなく、惨めな混沌と混乱の世界を生み出している。

これには二つの理由が挙げられる。

まず、深い分析抜きに見れば、欧州リーダーたちは崇高な意図を持ってるように見える。しかし、欧州の通貨統合の硬直性(財政統合の欠如)のせいもあるが、現在の緊縮財政政策が深い洞察に基づいた説得力あるものとは到底言うことはできない。

第二に、彼らの意図自体は素晴らしいものなのかもしれないが、
目下の、より緊急な優先事項とは真っ向から対立する。
この場合の重要課題は、社会的な「善い生活」にとって重大な意味を持つ「民主的な欧州」の維持である。
この「民主的な欧州」という価値のために欧州は何十年も闘ってきたのだ。


確かに、欧州の中には長いこと「もっと財政管理をクリアにすべき」
「責任ある経済運営をすべき」とされていた国もある。
しかし、タイミングが重要だ。
丹念に作り上げられたタイムテーブルに沿った改革と、早急に必要とされる改革は分けて考える必要がある。
ギリシャはそのすべての経済運営の杜撰さにもかかわらず、2008年の世界不況の前は経済的には危機でもなんでもなかったのだ(実際、2008年以降継続的に縮小していくまで2006年の経済成長は4.6%、2007年は3%だった)。

いかに緊急であろうとも、突然、公共サービスに大鉈を振るうような削減を一方的に押し付けるやり方では、改革はうまくいかない。

現在行われている無差別な支出カットは需要を大幅に萎ませる 

- 膨大な失業と、市場での需要減少で打ち捨てられた遊休生産設備を生み出す非生産的な戦略だ。

その他の地域の生産力向上から置き去りにされた国のひとつであるギリシャで、通貨政策(通貨切り下げ)による経済刺激という戦術は欧州通貨統合により阻まれている。
その一方で、欧州のリーダーたちが要求する財政パッケージは経済成長にはまったく背を向けている。ユーロ圏の経済生産は昨年の第四・四半期も減少を続け、あまりにも見通しが暗かったため、最近発表された今年の第一・四半期のゼロ成長が朗報と受け取られるほどだった。

財政赤字を減らすもっとも効果的な方法は、赤字削減策と歳入を増やす急速な経済成長の組み合わせであることは過去のいくつもの例が証明している。
第二次世界大戦後の巨額赤字のほとんどは急速な経済成長で解消された。
同様のことがビル・クリントン政権時にも起こっている。
多くの人が賞賛する1994年から98年にかけてのスウェーデンの赤字解消はかなり急速な経済成長に伴って起こった。
それに対し、欧州の国々はゼロ、あるいはマイナス成長の罠にはめれらたままで財政赤字をなくすように言われている。

ここはジョン・メイナード・ケインズの教えに耳を傾けるべきだ。
彼は国家と市場は相互依存していることを理解していた。
しかしケインズは、第二次大戦後欧州に現れる政治的努力も含め、社会正義についてはほとんど発言していない。
これらの政治的努力によって、現代の福祉国家と国家による保健医療サービスが誕生した - これは市場経済を支えるためではなく、人々の「善い生活」を守るためだった。

ケインズはこのような社会的側面には深く言及していないが、効果的な市場と、市場が提供できない公共サービスを組み合わせるのは経済学の古くからの伝統である。

アダム・スミス(しばしば自由市場経済の始祖と単純に見られてる)は「国富論」の中で、経済には「二つの絶対に譲れない目的」がある、と書いている。

「ひとつは十分な収入あるいは必要最低限な生活を人々に提供すること、いや、より正確には、人々がそのような収入や必要最低限な暮らしを自ら作り出せるようにすることだ。そして二番目には、国家あるいは連邦に公共サービスを充足させるための収入をもたらすことだ。」

おそらく、現在の欧州の停滞のもっとも厄介な側面は、これまでの民主的な努力が、EUのリーダー、欧州中央銀行、そして信用格付け会社(彼らの“信用度”判断は噴飯ものだ)といった金融独裁に置き換えられてしまったことだろう。

参加型の開かれた議論 - ジョン・スチュアート・ミルやウォルター・バジョットら民主主義の理論家が解き明かした“議論による政治” - は、社会正義という欧州システムの基礎を脅かすことなく、時間的ゆとりをもって適切な改革を図ると同義だと言える。

しかし実際には、これとは反対の公共サービスのドラスティックな削減が、その必要性も効果もどのようにバランスをとるべきかも、民衆レベルでの議論がほとんどないまま行われている。そのために欧州では大多数の民衆が不満を抱き、極右、極左両方がこの状況を利用している。

今から述べる二つの領域における政治的正当性を全うしない限り、欧州の再興はない。

ひとつは、一方的にことを進める専門家 - あるいは“善意の人々”:彼らは公共の側面から考えることも、市民にちゃんと情報を与えた上で了承を取ることもない - に、欧州は自らを引き渡してはいけない。
民衆に対する透明性維持がこれだけ軽視されてきた経緯を見れば、選挙に継ぐ選挙で民衆が野党に票を投じて不満を表明するのは驚くにあたらない。

ふたつめには、民主主義も、よい政策を作り出すチャンスも、リーダーたちが非効率かつどう見ても不公正な政策をごり押ししている間は実現しない。
これまで押し付けられてきた緊縮政策はまったく国民の信を得ていない。
これによって、一般民衆は政治参加の政治参加が拒まれただけでなく、民衆参加という価値自体が毀損された。そして道理に適ったタイミングで道理に適った解決法にいたる可能性もつぶされてしまう。

これこそが欧州統合の先駆者たちが目指した"民主的な統合ヨーロッパ“の魂からの叫びだろう。

アマルティア・セン - ノーベル賞受賞者、ハーバード大学経済学・哲学教授。近著に“The Idea of Justice.” この論考は2012年5月23日のニューヨーク版23pに掲載
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