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金持ち大国や多国籍企業の都合で貸し付けられた途上国債務の帳消しを! 債務、世銀・IMF、ODA、南北問題など、翻訳モノを中心にテキトーにupします。

2024-11

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ニューヨーク・タイムズのアマルティア・センさんの記事を見てたら、
たまたま横に載っていた記事。

まあ、こーゆーオルタナティブ経済のことをずっと考えてきた人からすれば
「いまさら」的な内容だけど、

こういう記事が一般の新聞に載るのがいいかなってのと、
経済成長は人々に職を提供することに直結しない
(という、私からすれば一番大事な部分は
最後の方にちらっと書かれてるだけなんだけど)
ってのがあったので、まあ、訳してみました。

あーところで、IMFのラガルド専務理事、「ギリシャ人が税金払わない!」と非難したんだけど、本人は35万ユーロ(約3500万円)の年俸をもらうらしい
(しかも年々昇給)。

Embarrassing revelation for IMF MD

つい最近、数十年ローンで135,000ユーロの家を買った友達と話をしたんだけど、
ラガルドさん、即金で払ってもまだ有り余ってるのね。

同じラガルドさん、ガーディアン紙のインタビューで

「ギリシャのバランスシートを見れば、IMF提案の政策で陣痛の来た女性のそばには助産婦もなく、生きるか死ぬかの患者は薬が買えず、老人は孤独死、という図が見えるんですが、そう考えてこの政策をやめようという気持ちにはなりませんか?」

という質問に

「いいえ。私はいつもニジェールの恵まれない子どものことを考えています。
この子達はアテネの人たちより助けを必要としています。
ギリシャというといつも税金逃れを図っているギリシャ人が頭に浮かぶわ。」
Christine Lagarde cares for Niger

と答えたらしい。

うわー・・・。

すごいぞ、PIIGS。
アフリカ並みに貧しくならないと緊縮に終わりはない。
いや、アフリカをあそこまで貧しくしたのは実際はIMFと世銀の緊縮政策だから
アフリカ並みになっても緊縮に終わりはない。

閑話休題。

国民投票に関しては、アイルランドの人気経済評家
David Mc Williamsが立て続けに何本か書いてるけど、
訳してる暇ないので、URLだけご紹介。
http://www.davidmcwilliams.ie/category/articles

それとこれももうひとつ、新しい経済のあり方に関する記事。
時間とエネルギーあればそのうち訳すかも。

The Rise of the New Economy Movement

まあ、もう今のシステムを維持しようと血道をあげてる人たち相手にしても
時間の無駄。
不正義は正さないといけないけど、その傍ら、より楽しく生きられる方向性をみなで
作っていかなくっちゃね。
もちろん、下のような提案を実現するには政府を変えなくちゃいけないし、簡単じゃない。
でも、夢を見るゆとりをなくさないこと(そしてこれには結構エネルギーがいる)が
一番大事なんじゃないかな。

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低生産性でいこう
TIM JACKSON
2012年5月26日

原文
Let’s Be Less Productive
http://www.nytimes.com/2012/05/27/opinion/sunday/lets-be-less-productive.html?_r=1&smid=fb-share

労働生産性追求はその限界を迎えたのか?

生産性 - 経済における一時間当たりの出来高 - は、しばしば現代の資本主義経済では進歩の推進力と見られてきた。

成果がすべて、時は金。

より生産性を上げるために膨大な研究論文が書かれ、企業CEOと政府の財務大臣たちは睡眠時間を削ってきた。

おそらくそうなのだろう:われわれがより少ない人数でより高い生産を上げられるようになったおかげで、私たちの人生は苦役から解放され、私たちは有り余る物質的豊かさを享受した。

しかし、際限ない生産性追求には当然限界がある。

永遠に向上し続ける生産性とはつまり、私たちの経済が拡大し続けなければ人々は職を失う恐れがあるということだ。
これまでと同じペースで続けるなら、生産量全体を増やし続けるか、そうでなければ人々に回る仕事が少なくなる。好むと好まざるとに関わらず、気がついたときには私たちは成長にがんじがらめになっていた。


では、何らかの理由で経済成長が不可能になったら?

原因は金融危機かもしれない。
あるいは石油のような天然資源の高騰、
あるいはうっかりこの地球に与えてきたダメージからの成長の抑制(気候変動や森林伐採、生物多様性の喪失)かもしれない。
現在の経済を考えれば、もはやこれまでのような成長を続けられない理由はいくらでも見つかる。
結果は同じだ。
生産性向上が、雇用を脅かす。

ひとつの解決方法は生産性向上を受け入れながら、労働時間を短縮し、みなで仕事を分かち合う。
1930年代以来おなじみの考えだが、いまや先の見えない不況を前に人気を取り戻しつつある。
英国のシンクタンク、The New Economics Foundationは週21時間労働を提言している。仕事中毒の人はこの案は気に食わないかも。しかし、一考の価値のあるアイディアであることは確かだ。

需要停滞期に人々に仕事を提供する方策は他にもある。

長い目で見て、こちらの方がより簡単で説得力ある解決法だろう:
あくなき生産性追求の手を緩めるのだ。
効率追求のアクセルを緩め、伝統的に「低生産性」セクターと見られていた分野の仕事を作り出すことによって、経済停滞時でも雇用の維持あるいは増加を図ることができる。

イカレてるように聞こえるかもしれない。
われわれは効率性という言葉に自動反応するようにならされてきた。
しかし、経済の中には生産性向上の追及がまったく意味をなさない分野もあるのだ。
ある種の仕事は本質的に人々の時間と注意力を注入ことが不可欠である。
“人”を相手にする仕事:医療、ソーシャルワーク、教育分野はいい例だろう。
こちらの方向に向けて経済を拡大することによる恩恵は計り知れない。

まず、これらの職業に費やされる時間が、人々の生活の質を直接向上させる。
これらの仕事の効率化は、ある一定のレベル以上は望ましくない。
教師たちにもっともっと大人数の教室で教えさせることに何の意味が?
医師が一時間によりたくさんの患者を診てどうなる?

英国の王室看護学院は最近、国の医療サービスの第一線のスタッフが人員削減で"やっていける限界を超えている“と警告している。
一方、今年はじめの職業看護ジャーナルの研究によると、時間枠と効率化圧力に同調しようとする看護学生が極度の無気力に襲われている。

無意味な生産性向上目標を押し付ける代わりに、われわれは看護、介護など人の面倒をみる仕事の評価を高め、これらを守り、さらにこれらの仕事をする人の経験を尊重すべきなのだ。

一人の人の他者に対する「世話」と「いたわり」は特殊な“商品”だ。
在庫を備蓄することはできない。
“売り買い(受け手与え手の頻繁な交換)”を通すと逆に劣化していく。
機械で置き換え不能。

この"商品“の質はひとえに一人の人がもう一人の人にどれだけエネルギーを注ぐかにかかっている。
世話にかける時間の削減を提言するだけでも、この労働の価値を誤解している証拠になる。


経済的雇用の源として再注目すべき職業は、介護・看護・教育労働以外にもある。

たとえば手工芸。工芸品はその緻密で繊細な性質によって、半永久的価値を持っている。
この緻密さを可能にするのは、木工職人や裁縫師がかける時間とエネルギーだ。
これは文化芸術でも同様だ。
音楽を例にとれば、練習、リハーサル、演奏にかけられた時間がその訴える力を生み出す。
ニューヨークフィルにベートーベンの第九を毎年前よりもっと前年より速く弾いてくれといって無意味な雑音以外の何を得られるだろうか?

これらの仕事を合理化しようとしたり縮小しようとする現代の傾向を見ると、成長や資源集約型消費経済に取り付かれた狂気が浮き彫りになる。

低生産性は“厄病”と見られている。
意味のある仕事や、コミュニティに貢献する貴重な一連の職の価値が貶めれらている。
これらは献身的で忍耐強くかつ注意深く働く人々を多く雇用しなくてはならないからだ。

しかし今の暮らしの大半を占める、時間に追われた物質的スーパーマーケット経済では得られない、はるかに大きな“善い暮らし”の感覚と満足を、これらのサービスの与え手として、あるいは受け手として人々は感じることができる。

そしてここがもっとも大事な点だが、これらの活動は無法図な物質の製造ではなく、人間によるサービスの価値に基づいているので、環境面でもより持続可能な経済を生み出す立派なチャンスになるのだ。

もちろん、おねだりするだけでは低生産性経済への変容は実現しない。

人々をその気にさせる仕組みを注意深く作り上げる必要がある - 例えば、労働への低い課税プラス資源浪費型産業や汚染への重課税など。
「患者中心の看護」や「生徒中心の教育」をリップサービスだけでなく本当に充実させる必要。
これまでのインチキな高生産性目標を解体し、技術やトレーニングに十分な投資を行うこと。

つまり、失業の苦しみをなくすことは、経済成長の夢を追うこととは直接つながらない。
むしろ、人間、手工芸、芸術文化を基にした経済を作り上げることが大事だ。
それによって、尊厳ある仕事の価値を、社会の中心の正しい場所に据えることが可能になるのだ。

Tim JacksonはUniversity of Surreyの持続可能な発展に関する教授。“Prosperity Without Growth: Economics for a Finite Planet.”著者


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