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金持ち大国や多国籍企業の都合で貸し付けられた途上国債務の帳消しを! 債務、世銀・IMF、ODA、南北問題など、翻訳モノを中心にテキトーにupします。

2017-11

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2008年4月14日、「汚い債務(Odious Debt)」理論に関するラウンドテーブルが世界銀行主催で開かれ、5月には国連開発計画(UNDP)主催で同様のテーマのラウンドテーブルが開かれました。

9月には世界中の債務帳消しキャンペーンが集まる国際会議がエクアドルで開催されますが、それに先立って、CADTM(第三世界債務廃絶委員会)が「汚い債務(Odious Debt)」に関するペーパーを発表しました。

原文はCADTMサイトでごらんください。

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「汚い債務(Odious Debt)*」理論の今日性について

CADTMベルギー:2008年6月


 世界銀行、IMF、アフリカ開発銀行、南北政府、市民社会組織の各代表と学識経験者が一堂に会して、2008年4月14日、「汚い債務(Odious Debt)」理論に関するラウンドテーブルがワシントンで開かれた。


 この会合はいくつかの非政府組織(NGO)の要請に応えて世銀が開催したものである。これらのNGOは2007年9月に世銀が発表した「汚い債務の理論に対する懸念(Odious Debt: some considerations)(注1)」というレポートを厳しく批判していた(注2)。

実際、「汚い債務」に関する世銀のこの最初のレポートは、一時しのぎで、問題を部分的にしか見ず、債務問題の公正な解決を求めるキャンペーングループを見下したようなものであった。さらにこの文書は、自分たちの不適切な“解決策(注3)”を押し付け続けるために、この重要な理論を債務に関する討論の中から排除する目論見でもあった。

世銀は10月にも再度、継続して「汚い債務」に関する討論を行うことを了承したが、世銀は「過去の債務」という問題に取り組むことを拒否しているので、彼らが態度を改めて、より理に適った方法で債務問題の解決を考えるようになるということはほとんどありそうにない。

CADTMベルギーは、世銀のレポートに対する批判を通して、より精緻かつ正義に適った方法によってこの問題に関する議論を展開しようと思う。

債務監査を行うことにより、一国の政府は、自らが抱える/貸し付けている違法で不公正な債務に対して、その国の一方的判断でもって異議を唱え帳消しする道が開ける。この文書を通して私たちは、南北双方の社会運動に、債務監査を土台とする法的戦略を提起したい。

1、「汚い債務(Odious Debt)」理論:民衆と国家の側に立つ国際法議論

・1.1.「汚い債務」あるいは「債務無効を宣言する権利」について

世銀は自分たちが発表したレポートの中で、「汚い債務」の概念を、いろんなものがごたまぜになった「あいまいな考え」であり、市民社会組織がそれをただいい加減に利用しているかのように扱っている。

しかし、世銀自身この「混乱」に一部責任がある。世銀は1927年に最初にこの理論を展開したアレクサンダー・サックを始めとする、この理論の支持者の議論を参照することを拒んでいるからだ(注4)。

サックの主張は:

もし独裁的権力が、国家の必要や利益によってではなく、独裁体制を強め、それと闘おうとする人々を抑圧するために債務契約をしたなら、この債務はその国家全体の民衆にとって「汚い(odious)」ものである。

その債務はその国民を拘束しない。この債務はその体制の債務であり、それを契約した権力者の私的な債務である。結果的に、その権力者が倒れたときに、その債務もなくなる。


さらに続けて:

その政府のメンバー、ならびに政府に関与する個人や団体が交わした、明らかに個人的な利益(国家の利益と関係のない利益)を図る融資による債務もこの範疇に含まれる。

サックはまた、そのような事情を十分に知りつつ融資をした債権者も

国民に対する敵対行為に関与したということができる。それゆえ、彼らはその「汚い」債務に責任がある独裁権力から解放された国家に対して返済を期待することはできない。この債務はその独裁権力の個人的な債務である。

とする。

ある債務が「汚い債務」かどうか認定するために三つの条件が挙げられる:

1、 独裁専制政権が、その支配を強めるためにできた債務

2、 国民の利益にならず、逆にその利益に反し、または/かつ 権力者か政権に近い者の個人的利益のためにできた債務

3、 債権者がその債務の「汚い」使途に関して知っていた、あるいは知り得る立場にあった


その後、今日の状況に合うようにサックの業績を発展させる試みが行われている。

例えば、カナダのマギル大学(McGill University)のthe Center for International Sustainable Development Law (国際持続可能な開発法センター:CISDL)は次ような一般的な定義を提唱している:

"汚い債務“とは国民の了承なく、その利益に反してできた債務で、債権者もその事実を承知していたもの(注5)」。

ジェフ・キング(注6)は上記の三つの規範(国民による了承がなかった、国民の利益に反した、債権者が認識していた)に関する彼自身の分析に基づき、累積的計算によって、汚い債務を分類する方法を提案している。

キングの主張は多くの点で興味深いものであるが(注7)、彼の方法によると当然odious(汚い)と認定されるべきである債務が外されてしまう可能性があるので、私たちは彼の方法は不完全であると主張している。

キングによると、自由選挙で選ばれた政権はその事実のみで(独裁政権ではないので;訳注)、その政権が作った債務はodious(汚い)とは認定できない、とされている。

しかし歴史が示すように、ドイツのヒトラーもフィリピンのマルコスもペルーのフジモリも選挙で選ばれた。民主的に選ばれた政権が暴力的な独裁制となり、人道に反する罪を犯すことがある得るのである。

つまり、債務国の政権が民主的であるかどうかは、単にその政権の“外装”だけでは判断できない。もしその政権が(民主的に選出されたものであろうとなかろうと)基本的人権や国家主権といった国際法の根本原則を尊重しない場合は、その政権によるすべての債務は「汚い」ものとみなされるべきである。

債権者は、悪名高い独裁者に対する債務の場合は、そのこと(借り手が独裁者であること:訳注)を知らなかったと主張して、債務の返済を要求することはできない。

この場合、その融資資金がどう使われたかは、その債務が「汚い」ものであるかどうか判定するのに根本的な重要性を持たない。

事実、犯罪的な政権に対する資金援助は、たとえそれに病院や学校の建設という名目がついていても、政権の強化・温存を支援することにつながる。

一見、有意義に見える投資(道路、病院などなど)が後に「汚い」目的、たとえば戦争遂行のために転用されることがある。また、金は流用・代替可能であるため、国民や国家のためという名目で借金しても(いつでも政府はそう主張するであろう)、その貸付がよからぬことのための余剰資金を生み出すことが多分にしてある。

借り手の政権の性質がどうであれ、融資された資金の使途が悪ければ、その債務をodious「汚い」と判定するに十分である。つまりその資金が国民の重大な利益に反することに使われたり、直接に権力者やその取り巻きの懐を肥やした場合である。

この場合、その債務は権力者の個人的債務となり、国民や彼らが選んだ代議士たちに代表される国家の債務ではなくなる。

サックによる債務を規制する条件の一つには“国家の債務は、それにより得られた資金が国家の必要と利益のために使用されなければならない”とある。

そうなると、構造調整の枠組みの中で押し付けられた多国間債務は、「汚い債務」の範疇に入ることになる。これらの債務の破壊的な性質は、たとえば国連機関によってもはっきりと示されているからである(注8)。

実際、「汚い債務」が最初に理論化された1927年以降の国際法の発展を考えると、「汚い債務」は「主要な国際法原則に違反する政権により作られた債務」と定義されるべきである。

このような国際法には、国連憲章、世界人権宣言、1966年の相補的な“市民的および政治的権利に関する規約(自由権規約)”と“経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)”、ならびに国際法の強制規範(jus cogens)が含まれる。

強制規範(jus cogens)に関しては、1969年のウイーン条約法条約(国と国際機関との間、叉は国際機関の間の条約法に関する条約:訳注)にその根拠を見ることができる。

その53条には、強制規範(jus cogens)(注9)と抵触する条約は無効とされている。その場合の強制規範として、以下のものがあげられている:武力侵略戦争の禁止、拷問の禁止、人道に対する犯罪の禁止、人の自己決定権の侵害の禁止

この考えは、1983年の「国の財産、公文書および債務についての国家承継に関するウィーン条約」において、特別報告官モハメド・ベジャウィによる「国家債務の継承に関する報告書」の中で彼が提案した定義に影響を与えた。

いわく「国際共同体という観点からすると、“odious debt(汚い債務)”は現在の国際法、特に国連憲章に組み込まれている国際法の原則に抵触する使途のためにできたあらゆる債務を指すと理解される」(注10)。

この考えていけば、南アフリカでアパルトヘイト政権が蓄積した債務は「汚い(odious)」なものである。

この政権は、国際関係の法的枠組みを決定する国連憲章に反しているからである。

1964年の決議で、国連はその専門機関 - そこには世界銀行も含まれている - に、南アフリカへの財政支援をやめるように要請した。世銀は国際法を軽視し、この決議を無視してアパルトヘイト政権への融資を続行したのである(注11)。

国際法はまた、植民地支配に起因する債務を新しく独立した国家には継承させないことを要求している。

1978年のウィーン条約第6項には

新しい独立国は、国家継承の時点で、継承する領土において施行されていた条約がいまだ発効期間内である、という理由のみでは、その後もその条約の効力に束縛され、あるいは、その締約国となる義務はない」と書かれている。

1983年の「国家の財産、公文書及び債務についての国家承継に関するウィーン条約(国家財産等承継条約)」(いまだ適用なし)の38条は、この点に関してきわめてはっきりしている:

1. 継承者である国家が新しい独立国である場合、被継承者である国家の国家債務は、継承される領土における被継承国家の活動に関連した国家の債務と、新独立国に継承される財産・権利・利益との間のつながりに関して、両者の間に合意がない限り、被継承国の債務は新独立国に継承されない。

2. 第一項の合意は、すべての国民がその富と天然資源に対して持つ恒久的な主権を脅かしてはならない。またその合意の実施によって、新独立国の根本的な経済的均衡が脅かされてはならない。


世界銀行が1950年ー60年代以降、いくつかの植民地債務に直接関与したことを忘れるべきではない。

世銀は、植民地支配を行う国が、植民地からの搾取によって最大限の利益を上げるための資金を寛大に貸し付けた。また、ベルギー、フランス、イギリスがその植民政策のために世界銀行から借り入れた融資が、了承もなく後に新しい独立国に転嫁されたことも忘れてはならない(注12)。

さらに世銀は、植民地支配を続ける限りポルトガルへの支援をしないようにという1965年の国連決議にも違反した。

さらに私たちは、「汚い債務」を返済するために借り入れられた債務も「汚い」ものであると認定すべきである。

The New Economic Foundation(注13)は、“「汚い債務」返済のための融資契約はマネーロンダリングと同じようなものだ”と喝破している。後に述べる、債務の監査という方法で、どの債務がそのような不公正なものか特定できるだろう。

「汚い債務」の定義に関する議論にはさまざまあるが、法的議論はその妥当性や説得力と無縁ではありえない。それどころか、これらの議論は、債権者、債務者双方にとっての重大な関心事をそのまま反映しているして、衝突する利害をそのまま法的レベルに移行させたに過ぎない。

「汚い債務」の理論が、債務返済拒否の主張に法的有効性を与えることができることを、いかに示すいくつかのケースは示している。

・1.2. 「汚い債務」理論の援用の歴史と近年の事例

「汚い債務」の理論が実行に移され、あるいは引き合いに出された例は多々あるし、それらのケースに関する研究もいくつかある。そのうちいくつか重要なケースを見てみよう。

・米国、キューバの債務引き受けを拒否(1898年)-
 
これは「汚い債務(このケースでは“追随的な債務”という名で呼ばれていた)」が実際に帳消しされたもっとも最初の例の一つである。

1898年、米国とスペインの戦争の結果、スペインは米国にキューバの主権を委譲した。パリの講和会議に出席した米国代表は以下の理由をあげてキューバが抱える「汚い債務」の返済拒否を正当化した。

1) 融資はキューバ民衆のために使われず、なかには民衆蜂起を抑圧するために使われたものもある。

2) キューバはこのような債務に同意を与えてこなかった。

3) 債権者はこのような状況を知っており、よって自分たちの金が戻らないリスクを引き受けるべきである。

・ベルサイユ条約とポーランドの債務(1919年)

ベルサイユ条約は「ドイツとプロシア両政府による、ポーランド植民地支配政策を通して作られたと講和委員会が認定する債務」に関して、「ポーランドに返済義務はない」とした。

同様に、1947年の仏伊間の第二次世界大戦の講和条約では

「エチオピア領内での独占的支配を確実にするために、イタリアによって契約された債務返済の負担をエチオピアが背負うなどということはありえない。」

と述べられている。

・英国とコスタリカの仲裁裁定(1923年)

1922年、コスタリカ議会は1917年から1919年にかけて前政権の独裁者フェデリコ・ティノコが交わしたすべての債務契約を無効と宣言する「無効法」を可決し、それによってロイヤル・バンク・オブ・カナダとティノコ政権が交わした債務契約の返済を拒否した(つまりこれは、「汚い債務」理論の商業債務への適用例、ということになる)。

英国とコスタリカ間の論争は、米国最高裁主席判事であったタフト判事が裁判長を務める国際仲裁裁判所の場に持ち込まれた。

タフト判事は無効法の有効性を認め、以下のように宣言した:

ロイヤル・バンクのケースは、単に取引の形態のみならず、貸し付けを行う際に、ティノコ支配下のコスタリカ政府によってその資金が実際にはどのように利用されるか、銀行が本当に善意であった(=知らなかった:訳注)かどうかによって判断されねばならない。

銀行は、正当性のある使途のためと信じて政府に資金提供を行ったことを立証しなければならないが、それがなされなかった。」

実際には債務返済拒否あるいは債務帳消しという結果が生じなくとも、その後も「汚い債務」の理論が度々引用されてきた、という事実がこの理論の有効性を証明している。

・南アフリカのアパルトヘイト政権崩壊後、「汚い債務」帳消し要求の声があがった。その圧力によって、政府は最終的に「アパルトヘイト債務」の存在を認めた。

・1998年英国下院国際開発委員会は、ルワンダ債務の「汚い」性質を強調し、二国間債務の債権者に帳消しを要求した。

・2003年米国がイラクを侵略した後、米政権はイラクの二国間債務を帳消しさせるために「汚い債務」の主張を引き合いに出した(注14)。

しかし、これが前例として確立するとまずいと気づいたブッシュ政権は、最後は「汚い債務」の主張を引っ込めた。イラクの債務救済は、「債務の持続可能性」を理由として行われた。

「汚い債務」の主張が姿を消したのは、この理論に信頼性がないからではないことを強調しておきたい。それどころか、この主張の法的有効性ゆえに、多くの他のケースで援用されるおそれがある。それが米国やその仲間の国の利益の反する可能性大だからだ。

このように、いつも債務帳消しという結果につながらなくとも、「汚い債務」理論それ自体の正当性を問う議論はなかった(注15)。

債務国政府に債務の返済義務を認めさせてきたのは、債権者からの圧力と、戦略的な思惑である。国家間、あるいは政府内の決定には、決して債務国に有利とはいえない権力関係が反映されている。

途上国政府は「汚い債務」の理論を利用すべきである。法的議論において世界銀行やIMF、他の債権者などが作り上げる言い逃れは、「汚い債務」のようなしっかりした理論が持つ歴史的事実や力には太刀打ちできない。いくら債権者が葬り去ろうとしても、この理論はいつも時代に合わせて新しい姿で現れてくるだろう。

2005年、ヨーロッパの銀行との間で交わした債務契約が詐欺的性質のものであったとして、パラグアイ政府は一方的に帳消しを決定を下した(3.2参照)。これに他の政府も見習うべきである。

パラグアイ政府は「汚い債務」に殊更には言及していないが、本質的に無効な債務、結果的に「汚い債務」ということになる。これもまた、国家の決定に基づく、この理論の有効性の証明のもうひとつの例と言うことができる。

世界銀行があのような速攻でこの概念の信用失墜を図ったのは何故か?

世界銀行自身が多くの国の「汚い債務」に対して責任を負っているからに他ならない。

私たちには、世銀の過去、そして現在の融資政策を問い直す権利がある。世銀は独裁政権、人権を激しく侵害する政権、植民地支配勢力、腐敗した政権を融資によって支え、融資された資金は支配者の個人目的で流用された・・。

世銀が「汚い債務」の議論の結論に関して、裁定を下す立場にはないのは明らかだ。

・2、国には国家債務返済の絶対的義務はない

「汚い債務」の概念は、国家債務の帳消し、あるいは支払い拒否の際に援用されるさまざまな要素のひとつに過ぎない。

ロバート・ハウゼ(注16)が述べたように「債務返済という国際法上の義務が絶対的なものとして受け取られてきたことは一度もない」のである。

・2.1. 債務を帳消しできる他の理由

すでに見てきたように、契約や条約により生じる義務は絶対的なものではないが、法律には従わねばならない。国際法上の強行規範(jus cogens)を侵害するような行動をとる体制によってなされた契約は、無効で取り消される。

このような強行規範(jus cogens)の精神から考えると、最初の債務だけでなく、その債務を返済するために借りたその後の債務も帳消しされるべきである。

債務監査を徹底的に行うことで、もともとの違法な債務を返済するために契約された債務を特定できるだろう。

強行規範(jus cogens)を援用して債務の支払い拒否をするには、現政権は、融資を受けたときの国家あるいは政府が、強行規範(jus cogens)を侵害していたことを債権者が承知していたことを証明するだけで十分であろう。国際法上の強制規範を侵害する意図が実際に債権者にあったかどうかを証明する必要はないと思われる。

強行規範(jus cogens)違反以外にも、国際法の基準テキストのひとつである1969年のウイーン条約法条約(国際司法裁判所規則38条)の中には、ある国家間の債務が違法なものであることを証明するために利用できるいくつかの基準を見ることができる。

46条は「条約締結の適格性」、49条は不正行為に関して、51条は国家の代表の抑圧性について、52条は脅迫あるいは武力の行使による国家による強制に触れている。

もし政府当局が債務が契約されたときにこれらの規範違反があったことを債務監査によって証明できたなら、その政府は違法性を理由に債務の返済拒否、あるいは帳消しを法的に正当化できるだろう。

さらに、両当事者に契約の遵守を要求するpacta sunt servanda(パクタ・ズント・セルヴァンダ)原則の適用は、例えばrebus sic stantibus(状況の大幅に変化による、合意の実施停止)といった他の原則により抑えられる。

同様に、ある国家がforce majeure(フォース・マジュール:不可抗力)あるいは国家の緊急状況を宣言した場合は、その義務を果たさなかったということで訴追されることはない。

ロバート・ハウゼの意見では、国家の継続性の原則は、公正さの前に制限される。法廷や仲裁裁判所の場でしばしばなされる主張である。

公正さに関して考慮される事項とは、違法性、詐欺的行為、状況の重大な変更、不正な意図、署名者の適格性、などである。

しかも、公正さは「法の一般原則(GPL)」であり、国際司法裁判所規則第38条の効力によって、国際法の源とされている。すべてのドナー(国家、商業銀行、IMF、世界銀行)はGPLの尊重を義務付けられているのである。

国内裁判所が債務の合法性と合憲性を判定する権利を持っているのは明らかである。

その行使として、2000年アルゼンチン連邦裁判所は「オルモス対連邦政府その他」裁判で、軍事独裁政権によって契約された債務は違法であると宣言した。

この判決は国内、国際の判例法に画期的な貢献をした。国際金融機関、メディアや西側諸国はこの重大な判決に対してだんまりを決め込み、率直に自らの罪を認めろという声に耳を塞ぎ続けている。

この判決は、決して忘れてはならない大虐殺(エチェコラツ事件などで証明されている)を含む人道に対する罪を犯したアルゼンチン軍事独裁政権とドナーとの間の直接のつながりを前面に引き出した。

債務帳消しキャンペーンと社会運動は、正当性がない債務(そしてその不当性は監査によって認定されなければならない)は帳消しされるべきだと主張している。

不当性の理由としては、

・融資の条件(小売、一般の利益に反するひも付き契約)、
・融資の使途、そしてその結果(未完成に終わったプロジェクト、無用の長物を作っただけのプロジェクト、市民や環境に害をなすプロジェクト)、
・債務が作られたときの状況(契約当事者間の力の不均衡、汚職)
が上げられる。

債務返済も、それによって政府、あるいは官庁ならびにさまざまな公的機関が人権に関して果たすべき義務をまっとうできなくなるような場合には、その返済自体が不公正なものとなり得る。

債務のメカニズムにより、公的機関がみずからの義務を果たせなくなっただけではなく、事実上人権を侵害するような政策を採用せざるを得なくなった事実を浮き彫りにするいくつかの報告書が独立の専門家によって書かれ、国連人権委員会によって採用されている。

・2.2.国家の権利と義務

pacta sunt servanda(パクタ・ズント・セルヴァンダ:両当事者に契約の遵守を要求する国際法原則)の存在にもかかわらず、国家にとって現存する債務の返済義務は絶対的なものではない。

国家の行為に関する規範には序列があるからである。

人権は、国際協約においても普遍的に認められているように、融資契約により保障される権利よりも一段上位にランクされる。基本的人権は、世界人権宣言(UDHR)のような文書に規定されている。

この宣言は健康、教育、住居、社会サービス、労働と余暇といった個別の権利を定式化するだけでなく、その28条では「すべて人は、この宣言に掲げる権利及び自由が完全に実現される社会的及び国際的秩序に対する権利を有する」と規定している。

これは、タマラ・クナナヤカムが言うように「不公正なシステムの廃絶は、人権と根本的な解放を実現するための条件である」ことにつながる(注17)。

債務のメカニズムは疑いもなく不公正-邪悪とさえ言える-なものであり、廃絶されるべきである。

また、150カ国以上に批准されている経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(ICESCR)にもいくつかの義務が記されている。

その第二条第一項は、各国は

立法措置その他のすべての適当な方法によりこの規約において認められる権利の完全な実現を漸進的に達成するため、自国における利用可能な手段を最大限に用いることにより、個々に又は国際的な援助及び協力、特に、経済上及び技術上の援助及び協力を通じて、行動をとることを約束する

とされている。

国連加盟国の圧倒的多数(注18)が賛同した「発展の権利に関する宣言」は、発展の権利を基本的人権として確立した。

その第二条3項にいわく
国家は、国民全体、ならびにすべての個人の生活の絶え間ない向上を目的とした、適切な国家開発政策を策定する権利と義務を有する。この政策は、発展に向けた国民の積極的かつ自由で意味のある参加に基づき、そこから生じる利益は公正に分配されなければならない」。

これらの義務は、道義的意味においても法的意味おいても普遍的なものであり、融資契約に従属させられてはならない。そして、融資契約には不公正としか言いようのないものが往々にしてあるのである。

・3.CADTMの法的戦略:国内・国際法に基づいた南北双方の政府による単独行動

・3.1.世界銀行が押し出す後ろ向きの解決

世界銀行はそのレポートの最後の章で、南の国々に対して「汚い債務」の返済拒否に変わる政策を提案をしている。

しかし、だまされてはいけない。世界銀行の提案とは、特に債務のリストラを目標に、途上国の「よき統治(good governance)」を進めようというものである。

つまりは、本来なら「汚い」あるいは「不公正な」債務を世界銀行やIMFの規範に従って組み替え、単なる「持続可能な債務(注19)」に“資金浄化”(括弧は訳者)しようというものである。

世銀は、南の国々に債権者と交渉すること、たとえば債務救済の恩恵を受けられるようにHIPC(重債務貧困国)の地位を認めてくれるように話し合うことを提案している(レポートの33ページ)。

世銀が交渉による解決を勧める理由として、“「汚い債務」「不公正な債務」の一方的な支払い拒否は、その国が資本市場にアクセスできなくなる事態を招くだろう”と述べている。

このレポートでは南アフリカが絶えず引き合いに出される。

マンデラ率いるポスト・アパルトヘイト政権は、海外からの圧力に負けて債権者と交渉する代わりに、犯罪的なアパルトハイト政権が契約した債務の返済を拒否するべきだったのである。

実際、「汚い債務」理論に関するUNCTADの報告書は、もし南アフリカが、アパルトヘイト政権が溜め込んだ債務の返済を10年間停止したたら、それだけでも新政権は100億ドルを「節約」できただろう、と見積もっている。

代わりに新政権は債権者に屈し、アパルトヘイトによる犯罪的な債務を返済した。その見返りとして南ア政府が受け取ったものは、マンデラの当選後10年にわたる、わずか11億ドルの対外援助だけである。

資本へのアクセス停止の脅しは、途上国が違法で不公正な債務の支払い拒否により受ける財政的利益に比べれば、なにほどもない。

世界銀行が、政府には債務返済の義務があると主張するのは、もちろん貸した金を返してほしいからである。しかし、それだけではない。世銀はそれによって途上国の首根っこを押さえ続け、世銀・IMFが押し付けた条件を守らせ続けたいと思っている。

「構造調整は、単にある国に国内レベルの一連の経済政策を押し付ける、という程度の話ではない。

これは政治的プロジェクトであり、なによりも多国籍企業の活動を保障する世界を作りあげるための、地球レベルの社会変容を狙って注意深く練られた戦略なのだ。簡潔に言うと、構造調整プログラム(SAPs)は、自由化、規制緩和、国家開発における国家の役割の縮小を通してグローバリゼーションのプロセスをお膳立てする「伝導ベルト」として機能している」(注20)。

私たちは、“「汚い債務」の理論の中立性は見せ掛けだけのもので、事実による実証に耐えない”という世銀の主張を信じることはできない。世銀は「汚い債務」が疑われる事例にあまりに密接に関わってきたのだ。

・3.2. 監査の結果に基づく、政府当局による不公正/違法な債務の支払い拒否と帳消し

CETIM(Centre Europe – Tiers Mondeヨーロッパ第三世界センター)や他の運動、国際ネットワーク(注21)とともに、CADTMは、どうやって第三世界の債務の監査を実現するかのマニュアルを発行した(注22)。

このマニュアルを参考に、第三世界の市民は政府に自分たちの国が抱える債務について監査をするように促すことができる。

監査を行えば、政府は違法かつ不公正な債務の支払いを拒否する法的根拠を得ることができるのだ。

監査は、融資契約が許容範囲を逸脱しているだけではなく、実は海外のドナーが、途上国の違法で不公正な債務に関して共犯関係にあることを如実に示す非常に有効な手段だ。このマニュアルでは南の民衆と政府が、彼らが負う債務の監査を実施する際に利用できる方法論が提示されている。

政府当局は、公的支出を見直す権利を有し、国際ならびに国内法に基づいて、債務の許容しがたい性質について法的意見を持つ権利がある、ということを頭においておくべきである。

最も最近の例は、2005年8月26日に発布された法令によって、パラグアイがジュネーブに拠点を置くオーバーランド・トラストバンクに対して負う8500万ドルの違法な債務の返済を拒否したことである(注23)。

この法的行為は二つの意味で重要である。

まず、一旦債務の監査が行われたら、政府はその債務が許容せざるものであるかどうか決定する権利があるということである。

次に、政府の返済拒否を宣言する法令は、国家による一方的な決定であり、もしその返済拒否に法的根拠があるなら、その政府に対する債権者もそれを受け入れざるを得ないということである。

現在、エクアドルで行われているように、市民社会が債務監査に関わっていくことは非常に重要である。

実際、世界人権宣言21条や1966年の市民ならびに法的権利に関する国際規約19条、25条から考えると、市民には監査プロセスに関与する権利がある(注24)。

それ故に、ラファエル・コレア大統領が設置した「国内・対外債務に関する統合的監査委員会(CAIC)」には政府代表のみならず、エクアドルの市民社会組織代表、そして債務問題に関して専門知識を有する南北双方の海外の組織の代表も参加しているのである(注25)。

債務監査に際しては、政府当局はすべての違法/不公正な債務の返済拒否のために国内・国際双方の法律を利用することができる。

ノルウェーは政府・社会運動の双方がお手本にすべき例である。

2006年10月、SLUG(注26)を中心に組織されたノルウェーとエクアドル双方の市民によるキャンペーンの結果、ノルウェー政府は5カ国(エクアドル、エジプト、ジャマイカ、ペルー、スリランカ)が有する不公正な債務への責任を認め、一方的にこれらの国がいまだに抱える債務(約6200万ユーロ)の帳消しを決定した。

CADTMは、監査によってすべての違法かつ不公正な債務が特定されたら、民主的政府は一方的にその債務の支払い拒否あるいは帳消しを行う権利を有すると考える。

国家は主権を有しており、「汚い債務」理論のようなさまざまな法的主張を利用して彼らの負う債務の無効を宣言し、返済にストップをかけることができる。もし必要なら、途上国政府は国際的責任を負っている彼らの債権者に、彼らの不法な行為のせいで生じた損害の責任をとり、その賠償を要求することもできる。

正義と民主主義は緊急かつ必ず実現されなければならない。

そのためには、政府がこれまで述べたような行動に敢然と取り組む決意が必要である。

途上国政府は不公正で違法な債務の重荷から解放されるべきだ。そして、それと同様の断固たる決意で、それらの政府は、自らの国民に対する義務を果たすべきである。

これは非常に重要なことである。不公正な債務の返済拒否により浮いた資金を利用して、途上国政府は自らの国民の生活条件の向上のためにあらゆる努力をするべきであり、また、経済的・社会的・文化的権利に関する国際規約や市民権ならびに法的権利に関する国際規約で定められている人権に関する彼らの公約を実行に移すべきである。

世界銀行が初めて「汚い債務」に関するレポートを発表したという事実は、世銀が多くの市民社会組織が提起する法的議論をもはや無視できなくなっていることを示している。

世銀とIMFがいくら煙幕を張ろうとしても、正当性のある政府がこの理論の適用をすることを妨げることはできない。

これらの政府は、自らも参加する国際規約に自分たちの政策を一致させようとしているだけである。

そして自分たちの政府を説き伏せ、この理論を実行に移させることができるかどうかは、いまや私たち自身にかかっているのだ。



(*訳注:Odious Debtにはいまだ日本語の定訳はない。Odiousとは“忌むべき、いやな、ぞっとする、忌まわしい”などの意味であるが、ここでは暫定的に「汚い債務」と訳しておく)

原注:
1)EURODADによる批判を参照
http://www.eurodad.org/uploadedFiles/Whats_New/Reports/Eurodad_Comment_WB_Odious_Debt_Paper_Mar_2008.pdf

2)http://siteresources.worldbank.org/INTDEBTDEPT/Resources/468980-1184253591417/OdiousDebtPaper.pdf

3)CADTM季刊誌Les Autres Voix de la Planète、No.37の以下の記事参照
“La Banque mondiale essaie de faire passer à la trappe la doctrine de la dette odieuse”

4)Alexander Sack、1927年:“Les Effets des Transformations des Etats sur leurs dettes publiques et autres obligations financières”

5)Khalfanら“Advancing the Odious Debt Doctrine”, 2002から、Global Economic Justice Report, Toronto, July 2003に引用されたもの

6)Jeff King, “Odious Debt: The Terms of Debate”

7)例えばキングは利益が生じなかったことを証明するために監査を行うべきだと主張している。

8)Eric Toussaint, Your Money or Your Life. The Tyranny of Global Finance, Haymarket Chicago (2005), VAK Mumbai (2006)参照

9)53条に曰く:「締結の時に一般国際法の強行規範に抵触する条約は、無効である。この条約の適用上、一般国際法の強行規範とは、いかなる逸脱も許されない規範として、また、後に成立する同一の性質を有する一般国際法の規範によつてのみ変更することのできる規範として、国により構成されている国際社会全体が受け入れ、かつ、認める規範をいう。」

10)Mohammed Bedjaoui, “Ninth report on succession on States on matters other than treaties” A/CN.4/301et Add.l, p. 73.

11)Eric Toussaint, The World Bank: A Critical Primer. London: Pluto Press 2007参照

12)同上

13)he New Economics Foundation,によるレポート “Odious Lending : Debt Relief as if Moral Mattered”参照。www.jubileeresearch.org/news/Odiouslendingfinal.pdf

その2ページに曰く「その結果とは、後を継いだ政府が「汚い債務」を返済するために新しい借り入れを行わざるを得ない、という悪循環である。そしてこれは、元の貸付の「資金浄化」の役目を果たす。

この“身を守るための貸付”によって、「汚い」貸付の結果できた元々の債務に、“正当性”の覆いをかぶせることができる。」

14)Eric Toussaint、'Odious Debt of Iraq'参照。http://www.cadtm.org/spip.php?article259

15)Robert HowseのUNCTEAD(ママUNCTADの誤?:訳注)文書“The concept of odious debt in public international law” 

1ページ「このペーパーではまた、移行期にある体制が、ある債務の“odiousness”( odiousさ)に基づき債務返済の義務に変更を加え、あるいは中止すると主張し、それに対して外国の採決機関が却下あるいは疑問を呈したケースもいくつか検証している。(・・・)

これらのケースのいずれを見ても、どのように衡平性を考慮しても国際法においては国家間の債務返済の義務履行に例外は考えられない、といった単にそのような理由で「汚い債務」の主張を却下したものはひとつもない。」

16)同上、
1ページ「国際法において、債務の返済が絶対的な義務であると思われてきたことは一度もなく、逆にそれは、さまざまな衡平性、たとえば“odiousness”と呼ばれる概念にくくられるようなことがらを考慮して、適用を制限あるいは適正がどうかを判断されてきた。」

p5、「世界の主要な民法上の制度においても国際公法においても、衡平性と正義が相続に際して債務をどのように処分するか決定する際に考慮される。

衡平性と正義は、法的義務を制限し、条件付けるものとして長らく認められてきた・・・」

p6、「一般原則が、国内法が定める契約上の義務に制限をつける衡平性や正義の根拠としてはっきりと認識されている一方で、進歩的内容を持つ国際法自体が、衡平や正義の根拠とみなされないというのはおかしな話ではないだろうか。

このような交際的な合意のひとつとして条約があるが、ウイーン条約法条約では、すべての合意における義務は、他の拘束力を持つ合意や、“当事者間に適用可能な国際法上のすべての重要な規則”に照らし合わせて判断されるべきである、とされている。」

p21、「これは衡平性が"文明国の法の一般原則“の構成要素であるという広く受け入れられている考えと一致する。衡平性は国際司法裁判所規定に明記されている国際法の根本原則のひとつである。」

17)Tamara Kunanayakam, ‘La Déclaration des Nations Unies sur le droit au développement : pour un nouvel ordre international’, p. 40 in Quel développement ? Quelle coopération internationale ? Geneva, CETIM, 2007.

18)投票数146中、反対1、棄権8。その他4メンバーは投票権なし。

19)債務が持続可能かどうか判断する基準は、債務の現在価値と年間の輸出収入額である。もし債務額が輸出収入額の150%を上回れば、債務は持続不能とみなされる。

20)国連人権委員会、人権の実現に対して構造調整政策が与えた影響に関する独立専門家報告E/CN.4/1999/50.
http://ap.ohchr.org/documents/alldocs.aspx?doc_id=1480

21)AAJ, ATTAC (Uruguay), COTMEC, Auditoria Cidadã Da Dívida (Brésil), Emmaüs Internacional, Eurodad, Jubilee South, South Centre

22)http://www.cadtm.org/texte.php3?id_article=2296

23)債務返済拒否の理由は、2005年10月3日の国連総会でのパラグアイ大統領のスピーチに雄弁に語られている。「私たちが国家のために緊急に必要とする資金を吸い上げようするこの詐欺的行為は、国際銀行グループと共謀の上で腐敗した独裁政権の官僚たちにより行われたものである。」

24)1948年の国連総会で全会一致で可決された世界人権宣言第21条には、「すべて人は、直接に又は自由に選出された代表者を通じて、自国の政治に参与する権利を有する」とされている。

市民権及び政治的権利に関する国際規約19条は表現の自由を保障しているし(“あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由”)、25条ではすべての市民は公務に携わる権利があるとしている(この規約に署名はしたが30年にわたって批准を拒んでいる米国を除き、事実上すべての国家がこの規約を批准している)。

監査は、このような民主的要請ならびに透明性確保の要求に応えるものである(知る権利、補償要求の権利)。

25)監査委員会を設立した大統領布告参照。
http://mef.gov.ec/pls/portal/docs/PAGE/MINISTERIO_ECONOMIA_FINANZAS_ECUADOR/SUBSECRETARIAS/SUBSECRETARIA_GENERAL_DE_COORDINACION/COORDINACION_DE_COMUNICACION_SOCIAL/PRODUCTOS_COMUNICACION_PRENSA/ARCHIVOS_2007/DECRETO.PDF

26)SLUGは50以上の市民団体を網羅するノルウェーの債務帳消しネットワーク団体





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