金持ち大国や多国籍企業の都合で貸し付けられた途上国債務の帳消しを!
債務、世銀・IMF、ODA、南北問題など、翻訳モノを中心にテキトーにupします。
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国際会議の場では多くのムスリム女性に出会う。そのほとんどは聡明で非常に意思の強い女性たちだ。
彼女たちはとりわけ特殊というわけでもない。いま、私が住む町で会うイスラム国出身の女性たちの多くも自分の意見をしっかり持っている。高等教育を受け、自国では専門職についていた女性も多い。 (こっちの国の女性と同様に胸の大きく開いたドレスでおしゃれを楽しんでいる人もいるけど、自分の国に帰ったらどうなんだろ) たくさんムスリムの女性と知り合いになり、私自身の興味も深まったところで、ちょうど面白い記事あったので訳してみました。 彼女たちのイスラムの教え(というか、イスラムの教えを自国の男性中心の社会がどう使っているか)に対する意見は、もちろん人により様々だ。国による違いも大きい。 ベールはきちんとかぶるけど、男性同伴義務付けは「うっとうしい」という人もいる。自国に帰ると空港の係官が「保護者は?」と聞くので、横にたまたま立っている全然関係ない男性通行人を「この人です」と言って切り抜けたりすることもあるのだそうだ。 ちなみに彼女は熱心なムスリムで、「イスラムへの誤解を解く20のQ&A」みたいなパンフを配っていたりする(私も読んだ。申し訳ないけど納得できない部分も多々ある。でも、それはどの宗教に対しても同じだ)。 女性に対する厳しい規制を怒っているムスリム女性もたくさんいるけど、むしろ、男性に対する弾圧も含め、表現や政治活動の自由が抑圧されていることを怒っている人の方に多く出会う(そして政治の腐敗や独裁はイスラム教とストレートに重なるものではない)。 それより気になるのは、西欧社会で女性の権利のために活動している人の中にも「イスラム国の女性=抑圧され、ひどい状況に置かれている、かわいそうな人たち」という判で押したような思い込みが見えることだ。もちろんひどい状況の国もある。でもそれがイスラム教徒全般への嫌悪につながったり、ましてや、だから空から爆撃して「民主化」しようなどという風に考えることの方がよっぽど怖い。 ―――――――――――――――――― ジェンダー平等なコーランを目指して Suad Hamada記者(2009年8月26日) MANAMA(IPS)-ジェンダーと女性のエンパワメントに関する新しいイスラムの解釈を求めて、史上初めてフェミニストたちがバーレーンに集まり、コーランの現代的解釈について語り合った。
コーランの文章は長らく男性優位の裏づけとして使われてきた。「発展のためのバーレーン女性協会」は、5月に始まった4回にわたるワークショップにおいてコーランの「新しい意味づけ」を求める真剣な討論を公衆と共に作り上げようとしている。
「私たちは反イスラムでもないし、私たちの考えを押し付けるつもりもありません。」と協会の理事で活動家のアスマ・ラジャブは言う。「私たちは、私たちの社会の人々に女性が完全な人間であるとわかってほしいのです。」 バーレーンを含む多くの国々でムスリム女性の社会進出が進んでいる。いまや、コーランの文章の「再解釈」が行われるべきときである。「イスラムはあらゆる状況、時代に応じて“再生可能”な宗教なのです。ですから、ムスリム女性の進歩にも対応して、その法規制に再解釈が加えられるべきです。」と彼女は言う。 女性の権利を制限する社会慣行には、外出の際の男性保護者同伴の義務付け、不平等な相続割合、家庭内暴力、シャリア(イスラム法)法廷での証言の価値の不均衡などがある。また、イスラムは女性が大統領、判事、議員になるのを禁じているという意見も広く信じられている。 これらはイスラムの原則に反するものだ、と同協会は主張する。そして、女性は男性より劣っていると主張する宗教学者その他の人々に公開挑戦状を叩きつけている。 「女性、その新しい見方」と題したワークショップは、ジェンダー不平等は宗教的に確認されているのだという何世紀にもわたる誤解を正すために企画された。第二回ワークショップは8月15日に開催され、第三回目は12月に予定されている。 「男性主導社会を変えるために、ムスリム社会はコーランとイスラムの教えの柔軟性を受け入れなくてはなりません」とラジャブはいう。 女性たちはさまざまな面で差別されている。弁護士であるハッサン・イスマエールはシャリア法廷は女性二人の証言が男性一人の証言と同価値であるとしているが、これは「現実的ではなく、女性と女性たちが成し遂げてきた成果を貶めるものです」とIPS記者に述べた。 彼はまた男性と女性の相続権の差にも疑問を抱いている。この問題は来年初めに行われるワークショップ最終回で取り上げられる予定だ。 「以前はほとんどの女性は主婦で金銭面で男性に依存していました。でも、いまや事態は変化し、男性も女性も等しく金銭面の責任を担っています。なぜ男性が女性の二倍相続しなくてはならないのでしょうか?」と彼は問う。 宗教学者シャイク・イブラヒム・アル・ジュファイリはイスマエールの意見に賛同し、証言の価値に関してコーランは誤って引用されてきた、と言う。 「一つの証言と数えられるのに二人の女性が必要という文章は、すべての事件の証言に関するものではなく、一人の男性が別の人から金を借りている場合についてのことだけなのです。一人の女性が証人、そしてもう一人の女性は第一の女性がなにか忘れている場合に助ける役割をするのです。この文章は法律問題にはなにも関係がありません。」と彼はIPSのインタビューに答えていった。 アル・ジュファイリは10年近くアル・タジディード文化協会のメンバーである。この協会のメンバーはすべて高等教育を受け、政府か企業の役職についており、イスラムの教えはアップデートされる必要があると信じている。 「悲しむべきことに、多くの男性学者は女性の証言をラマダン開始やEid(イードゥ、ラマダンの明けの祭り)に必要な月の確認においても認めようとしません。とんでもないことです。女性は男性と同じように月をちゃんと見ることができる目を持った人間ですよ。」 男性の護衛同伴についてはどうだろうか?カイロ大学教授のヒバ・エイザットは断固としてこれは受け入れられない、信者として、イスラムが女性を貶め男性の所有物のように扱うことは受け入れられない、と言う。 「たくさんのコーランの文章が誤解されており、暴力分子が自分たちの非人間的な行為を正当化するためにこの聖なる本を利用しているのは明らかです。なぜ私たち女性が男性にコントロールされなくてはならないのでしょうか。なぜなら、女性が自立の権利を得て、自分たちの人生を自分で決めていくことを拒否する男性がいるからです。イスラムは進歩を奨励しています。だからイスラムは新しいファトワ(勅令)を認めているのです。しかし残念なことに、ファトワを発する立場にいる人たちは進歩や積極的な変化に反対なのです。」と彼女は言う。 そしてもし女性が大統領や判事といった決定権者になれないとしたら「なぜ、預言者モハメッドの死の前のイスラムの初期の時代に、女性たちのファトワや宗教的な教えが受け入れられたのでしょうか?」とエイザットは述べた。。 バーレーンの研究者ジャラル・アル・ガサブはハディス(預言者の言葉)は女性をコントロールするために意図的に誤って解釈されてきたが、実は多くの学者がそのことに気づいていると考えている。彼はムスリムの祈りのさまざまな方法を例に挙げて「各イスラムのグループは祈りの方法についてさえ合意できないです。」と言った。しかし一方で、「常識ある人々は女性を対等に受け入れていますよ」とも主張した。 女性へのコントロールをやめ、「イスラムの評判を保つため、ムスリムは古いファトワに挑戦し、イスラムの法規則を再検証し、女性の全面的な能力開花を保障すべきだ」と彼は言う。 しかし、宗教学の講師、ファティマ・ボサンダルはこれに対し異を唱えている。彼女はIPS記者に、コーランとハディスは別々に考えることはできない、と述べた。「イスラムは相続、男性保護者同伴、証言に関して明瞭に規定しています。これは女性のやわらかい性質のためです。男性には彼女たちを金銭的、情緒的に支える責任があるのです。」と彼女は言う。 ボサンダルの意見では、コーランの現代的解釈を追求する近年の努力は、ムスリム社会が真のイスラムの教えに従うのを阻止するための西側世界からのプレッシャーの一部なのだ。 PR |
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