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金持ち大国や多国籍企業の都合で貸し付けられた途上国債務の帳消しを! 債務、世銀・IMF、ODA、南北問題など、翻訳モノを中心にテキトーにupします。

2025-01

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債務に対する闘い

今とは違った世界を見据えながら


「最も緊急に必要とされる作業は、世銀やIMFのように、貧窮する人々を金持ち達の手のなすがままにさせることではない。ほんの一握りの者達が、しばしば恐ろしい犠牲を引き起こしながら長年所有してきた社会や生態系を取り戻し、それらをずっと守っていくことだ。」

Albert Jacquard, J'accuse l'economie triomphante, 1995.


【CADTMとは?】

第三世界債務廃絶委員会(CADTM)は、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、アフリカ、アジアに広がる、個人ならびに様々なローカルグループの国際的なネットワークである。1990年3月15日、ベルギーで発足した。


CADTMは、同じ理想を持って闘う他の運動や組織と緊密に連携して行動する。その主な関心は、債務問題に加えて、人々の根元的な権利、必要、自由が尊重される世界の創造のために、行動計画を立て、思い切った代替的手段を考えていくことにある。


CADTMは常に多元主義的構成を保ってきた。その構成員は、私的な個人から法的身分を持つ組織にまで及ぶ。その活動分野は、草の根グループ、文化運動、労働組合、国際連帯委員会、開発NGOなどが闘ってきた分野と共通の地平上にある。

CADTMは世界社会フォーラムの国際評議会のメンバーであり、「今とは違った世界を可能」にするために闘う市民の国際運動において、全面的にその役割を果たしている。


この国際運動は、徐々にグローバリゼーションの新しい、別の形を作り上げてきた。これは、地球規模で新自由主義的資本主義モデルを推進する人々により押しつけられている現在のモデル ー 人々の幸せや社会の自然なあり方から最も遠く、地球上のどこに住んでいてもこれが避けられない運命、「歴史の最終形態」とされているモデル ー に対置されるものである。


「もう一つのグローバリゼーションを求める運動」の一員として、私達は新自由主義のドグマを拒否する。CADTMの使命は、人々の主権、国際連帯、平等、社会正義に基づく世界の創造に寄与することである。


その目指すところは、「開発問題に関し、情報と教育のレベルを高める。特に、南と北という文脈において。世界の市民、北、南、東、西内相互の連帯に役立つような、また、人々の主権、社会正義、全ての人々、男性と女性間の平等を尊重する、より公正な社会の実現を促進するような、」どんな取り組みでも行い、どんな活動でも組織し、どんな情報でも発表し、どんなプロジェクトでも実行する(1992年2月6日ベルギーの公的出版物Moniteur belgeに発表されたCADTM規約より抜粋)。


CADTMが行ってきたプロジェクトや活動、作成してきたツール(出版物(本、記事、分析、報告・・)、会議と討論、セミナー、トレーニングコース、国際会議やイベント、啓発キャンペーン、コンサート、等々・・)は、アクションと調査のコンビネーションで作り上げられたダイナミックなものである。。


CADTMは、このように人々の啓発活動を行う草の根の組織であると同時に、アクションをその活動の中心とするネットワークである。その第一の目標は(つまり活動の方向性は)、周辺化された国々(第三世界並びに旧ソ連ブロック)の多国間ならびに二国間債務の帳消し、ならびにIMF、世銀、WTO三人組に押しつけられてきた構造調整政策の撤廃である。


その目的は、地獄の渦のような債務の悪循環を終わらせ、最終的に社会的に公平で生態系の上で持続可能な発展モデルを打ち立てることにある。しかしながら、周辺化された国々の支払い不能な対外債務の帳消しは、CADTMにとってそれ自体は目標ではない。しかし、それは単なる手段でもない。真に持続可能で社会的に公平な発展を達成するための、不十分ではあるが、必要不可欠な前提条件なのだ。このような発展モデルは、この地球上の南のみならず、北でも求められている。


【達成目標とそれに必要な事柄】


CADTMは自らに5つの使命を課す:


ー周辺化された国々の債務の起源と結果の詳細な分析、ならびにその帳消しに必要な技術的・政治的選択肢を提供する


ー人間開発の資金獲得、ならびに現在の世界の金融の制度・枠組みの抜本的変革のための代替的な政策を練り上げる


ー基本的人権の普遍的擁護に向けた道筋を作る


ー国内、国際レベルで、社会運動と市民のネットワークを強化する


ー各レベルに置いて、政治的なリーダー達に挑戦していく。彼らに基本的人権を保障する制度を導入させ、CADTMや他の運動が提案する代替的政策を実施するよう圧力をかける


この20年間の世界経済の変化は、ほんの一握りの途上国しか関与できない(しかも、できたとしても、かろうじてでしかない)不安定な金融マーケットの仕組みでは、周辺化された国々の人々の要求は到底聞き入れられることがないことを如実に示してきた。同時に、IMFや世界銀行が(高度産業先進国連合であるパリクラブのお墨付きを得て)融資に付随して押しつける条件は、不平等を拡大し、世界規模で貧困を作り出すようなマクロ経済改革を推し進めるものだった。そして途上国は債務漬けにされ、産業先進国の多国籍企業が支配する世界市場のなすがままにされてきた。


つまり、これらの国の人々が金融マーケットと多国間融資への依存から自らを解放することが必要となる。以下の根本的な方針の上に、新たなモデルが打ち立てられなければならない。すなわち:


◎南ー南の協力・相互補完、恥ずべき社会的不平等を終わらせるための富の再分配、関係諸国の市民と議会により民主的に管理された開発資金が潤沢に得られること、である。


そのためには透明性があり、効果的な監視手続きの導入が必要となるであろう。そして、より一般的に、人々自らが自分たちの未来を決定する社会プログラムを立案し、実施することが可能となるような、民主的で直接参加型のメカニズムが求められる。


では、これらの資金はどこから得られるか?


まず、第一に当然ながら、周辺化された国々の債務を帳消しにすることにより多額の資金が利用可能となる。それらの国々の債務は1980年以降、借りた額の8倍も支払われてきたのだ!


しかも、これには四重の意味がある。まず、この債務は不当なものであった。その大部分は、借り手の国の人々に恩恵をもたらさなかった。この貸付は、南から北の貸し手の方へ大規模な資本移動を可能にし(一年に3千億ドル余り)、一方、南の資本家はその過程でおこぼれを頂戴した。債務返済は、借り手の国の社会福祉予算に直接の打撃を与え、最も産業が発達した国々の多国籍企業と政府による周辺諸国の「経済的再植民地化」という結果を引き起こした。


途上国の支配層も、地球規模に拡大した資本主義システムに自らも参与し、自国の債務漬けの状況から利益を得ている。彼らは自国の給与労働者や小規模生産者(農民や商人)を搾取し、そうやって蓄積した資本を高度に産業化した経済の方に投資する。そしてさらに北の銀行や金融マーケットから借り入れる。彼らの借入はしばしば政府保証を得ており、支払い不能の暁には、政府が肩代わりすることになる。こうして国家の債務は増えていく。


産業先進国の多国籍企業(銀行を含む)とその利益を擁護する国際機関(IMF、世界銀行、WTO、パリクラブ・・)は、この地球を自分たちの間で切り分けている。その手始めが途上国で、彼らにとってそれは安い原材料と労働力の巨大な宝庫である。彼らは債務危機の状況を利用し、途上国の政府に、再植民地化につながる経済政策(いわゆる「構造調整」)を採用させる。彼らは借り手の国の天然資源(石油、金、ダイアモンド、水、木材・・)を搾取し、基礎的な公共サービス(水、保健医療、教育、電気、通信・・)を民営化させ、「全て輸出のために」モデルを押しつける。借り手の国の経済・政治は、貸し手の国の資本のいいようにお膳立てされ、借り手の国の政府はその政策を採用するだけだ。各国固有の文化は、「米国産」ライフスタイルの元に衰退させられていく。


◎上述したように、債務帳消しはCADTMにとって不十分だが必要不可欠な前提条件だ。私達はまた、以下のことを呼びかける;


ー 最も産業発展を遂げた国々による、彼らが何世紀にも渡って途上国から奪った略奪品の賠償支払い。特にこの500年間、南の国々は、植民地支配、黒人奴隷労働の「発掘」と輸出、民族絶滅、伝統文化の根絶(あるいは、完全なる”文明化”)、資源の枯渇と環境劣化に見舞われてきた。


現在の対外債務システムへの服従は、搾取のレベルがもう一段上がっただけの話である。周辺化された国の人々は、この略奪の犠牲者である。それゆえ、彼らは補償を要求する権利がある。この間の歴史を通して、産業発展先進国は、途上国の人々に対して、歴史的・生態系上の債務を背負う契約を続けてきたことになるのだ。いまこそ、政府開発援助(ODA)と名付けられた無償資金提供を、「賠償」という名前に変えるべきだ。1992年のリオサミットで先進国がした公約(開発援助をGNPの最低0.7%に引き上げる)から鑑みて、政府に贈与される開発援助は、額を3倍にした上で、「賠償基金」にすべて投入されるべきである。


(2003年、北の国々による援助は平均GDPの0.23%である。)それゆえにCADTMは2001年9月ダーバンでの国連反差別会議において、アフリカの組織に賛意を表した。その場で彼らは、歴史を通して自分たちに対して犯された犯罪、特に奴隷貿易による荒廃への賠償を要求した。私達はまた、生態系上の債務(エコロジカル・デット)を認めさせる闘いも支持する。


ー南のエリート達によって持ち出された財産の返還;これらは南の人々が最低最悪の独裁政権によってうばわれて(しばしば、北の支持の元に、社会的免罪システムの助けを得ながら)きたものである。


この不正流用は、みせかけの「グッド・ガバナンス」の元でも続いている。国際金融機関の圧力の元で、資本フローの規制が取り除かれて以降、大規模な資本流出が起こり、また、犯罪的手法で得られた資金の浄化(マネーロンダリング)も一層容易になっている。不正に持ち出された財産は、奪われた人々に戻されなければならない。そのためには、国際的な査問委員会を立ち上げ、銀行の機密保持ルールを撤廃する必要がある。


ー金融取引への課税(いわゆる、トービン税)。たとえ、そのような税制度の導入が、気違いじみた投機的金融取引に水をかけ、取引量を一日5千億ドルのレベルにまで引き下げたとしても(2003年は一日1兆2500億ドル)、それに対する0.1%の課税は一年間に1200億ドルの資金を生み出す。


ーたとえば、1995年にUNCTAD(国連貿易開発会議)で提案されたような、巨大資産に対する新しい国際税制の導入


ー軍事支出を社会・文化支出へと転換する国際プログラムの導入


これらの手段により、何千億ドルもの開発資金が得ることが可能になる。国連は、基本的な社会サービスを世界中に普及させるためには、10年間に渡り毎年800億ドルの資金がさらに必要になる(現在、この目的で振り向けられている額に加えて)という試算を出している。


これらの資金は、南の国々が、自分たちのペースで開発モデルを打ち立てていくことを可能にするだろう。そのための資金の大部分は彼ら自身の拠出で賄うことができ、プログラムはその地域で立案され、自分たちの天然資源や文化的特殊性を尊重した開発が可能になるだろう。


繰り返しになるが、私達は人々が自分に直接関係することがらについて、その意思決定過程に参加することが必要不可欠であると思っている(特に議会制を通して)。付け加えて、貸し手の側から条件として押しつけられた、マクロ経済上の構造調整政策は全て廃止されなくてはならない。


◎CADTMは、また、新しい国際経済・金融構造を支援する側に立つことを宣言する。これは具体的には以下のことを意味する:


ーIMF、世界銀行、国際貿易機関の抜本的改革または廃止


ー金融資本規制。こっそりと立ち回る投機的金融マーケットに対して、なんの規制もされないままでは、どのような開発援助もその目的を達成することはできない。そのためには、全ての金融取引は、追跡可能性と透明性という基準達成を義務づけられなければない。そして、国際的な資本フローのコントロールの方法が導入されなくてはならない。


ータックスヘイブンの廃絶。


そして最後に、CADTMは女性の解放をその根本的な目的と必要事項の欠くべからざる部分であると考える。CADTMは全体として、労働時間の削減を求める。ビザもなく支援体制もない状況で多くの労働者が出稼ぎを余儀なくされる原因を重視し、移住者への強制収容所の収容、強制退去命令、警察による取り締まりや排除の政策を非難する。


CADTMは抜本的な農地改革と食糧主権を求める南北の運動を支持し、遺伝子組み換え作物(GMO)の開発・栽培・商品化に反対する人々を支援する。これらの社会運動、そして広い意味の社会的闘争の非合法化やそれに対する抑圧に反対する。


より一般的に言えば、CADTMは、全ての人々は自分たち自身にとって何が開発かを決める権利があると信じる。社会や生態系の劣化を招くことが明らかな、現在主流となっている開発モデルに合わせる義務を課されるべきではない。新しい国際的な構造が求められている。その構造が果たすべき役割とは、普遍的な人権宣言、経済・社会・文化的権利に関する国際協定、市民としての政治的権利に関する国際規約、多国間環境協定、国際労働機関の基本的な規約、あらゆる形態の女性差別撤廃条約、人権に関する欧州条約、ジュネーブ条約などを実施することである。


この文脈から言うと、国際機関の加盟国家が、各国の内部でより民主的に行動することが何より重要になってくる。

各国の国会は、関係各省庁や労働組合、NGO、その他の団体と協議の後、その国際機関内で各国政府がどういう政策を追求したかの年次報告を作成することが求められる。そこでは、各政府が取ろうとした政策と、基本的人権の推進が両立することに最大の重点が置かれなければならない。


この点に関しては、CADTMは各権利は分割不可能であるという立場を取る:経済的、社会的、文化的、そして環境に対する権利はすべて、市民並びに政治的権利として、同じように擁護されなくてはならない。そのためには、まず第一に、1993年のウィーン会議で求められたような議定書が採択される必要がある。次に、ある種の経済犯罪は、人道に対する罪として裁かれ、そしてその性質上、時効規定の例外とされることが必要である。北と南、どこであっても、基本的人権が尊重されるようにする責任は、第一に司法制度にある。そして全ての政治活動は、基本的人権を第一に優先すべき事項と考えるべきである。


【CADTMの設立と発展】


CADTMは1989年のフランスの「バスチーユ・アピール」に続けて、1990年3月に発足した(下記参照)。

1991年にはベルギー法におけるASBL(非営利アソシエーション)となった。


その初めから、CADTMはその活動の焦点をG7(地球上で最も産業発展した7つの国のグループ、ドイツ、カナダ、米国、フランス、英国、イタリア、日本)ならびに国連、世銀、IMFの各会合といった国際レベルでの活動に置いてはいたが、1990年から1993年にかけては、主に、本拠地であるベルギーでの啓発活動と、大衆動員に力点が置かれた。


その初期の頃から、CADTMは一般の人々の意識を高め、南と北の平等な関係を打ち立てるのに緊急に必要とされるアクションに一般の人々が参加できるように、以下のキャンペーンを組織した。「第三世界債務時限爆弾」(1990)、「現代のコレラ:第三世界債務」(1991)、「一日4万人の子どもが死んでいく状況で、毎分数えるキャンペーン」(1992?1993)、「第三世界債務:人々の連帯の必要」(1994ー1997)、「北から南へ、債務に耳を傾ける私達の責務」(1997ー1998)、「市民と開発を助ける代替的方法への資金」(1990?2000)、そして「債務を廃絶し、開発を可能にしよう」キャンペーン(2000?2004)。


1994年はCADTMにとってターニングポイントとなった。米国のキャンペーン「IMF、WB、WTO:50年でたくさんだ!」をモデルに、「IMF、WB、WTO:50年でたくさんだ!」宣言署名を立ち上げ、9月のマドリッドサミット「この地球上の様々な声」を共催した。


CADTMが国際レベルで出版活動を始めたのも1994?95年の時期である(フランス語、オランダ語、英語)。1998年から2002年にかけて、CADTMは財政基盤ならびに南北の活動家とのネットワークを強化した。新しいコミッティーや協力関係が打ち立てられ(西・北・中央アフリカ、フランス、スイス)、一方で、他の組織が参加したり、国際的に密接に協力しながら活動する関係ができていった(マリ、ブルキナファソ、ニジェール、象牙海岸、コンゴ共和国、コンゴ民主共和国、アンゴラ、エクアドル、コロンビア、ベネズエラ、パラグアイ、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、バングラデシュ、インド、Reunion Island・・・)。


1998?99年、CADTMはジュビリー2000国際キャンペーンで大きな役割を演じた。これは様々な教会が祝う2000年のジュビリーの年にちなんだ名称である。1999年、CADTMはパリ、サン・デニで開かれた国際会議「市場の独裁に抗議する;もう一つの世界は可能だ」開催に力を尽くした(ATTACフランス、WTO市民管理ネットワーク、世界代替フォーラム、女性グループDAWNとの共催)。ここでの出会いが、これに続くオルタグローバリゼーション運動のさきがけとなった。1999年、CADM、ベルギー国際協力・開発全国センター(CNCD))、ル・モンド・ディプロマティーク友の会、その他個人で、ATTACベルギーが結成された。2000年12月、CADTMはCNCD、CONGADセネガル(開発を支援するNGOセンター)、ジュビリーサウスと共に、ダカールでの二つの国際会議「アフリカ:抵抗からオルタナティヴへ」「第一回南北対談」開催に尽力した。


CADTMが、他のネットワークと並ぶ途上国債務問題のエキスパートとして国内外に認知されるたのは1999年である。その他のネットワークには、北ではジュビリー2000(特にジュビリー2000UKとドイツのエラシャール2000)、EURODAD(債務問題に取り組むヨーロッパNGOのネットワーク)、南ではジュビリーサウスがある。CADTMの出版物が専門的な評価を得、また海外に広まると共に、そのネットワークも順調に拡大している。一方で、その生来のパートナー達、ATTAC、世界代替フォーラム、女性世界行進、ビア・カンペシーナ、フォーカス・オン・ザ・グローバルサウス(タイ)といった国際組織や、スペインのRCADEといった各国内組織(対外債務廃絶のための市民ネットワーク)との連携も深まっている。


2001年から03年にかけて、CADTMはブラジル、ポルトアレグレで開催された1?3回の世界社会フォーラムの準備と運営に直接関与した。2002年にはマリ、Sibyでの民衆フォーラム(CAD-Mali/Jubile 2000主催)や6月にカナダのロッキー山脈の要塞に守られたG7+ロシアサミットに対抗して開催されたフォーラム、ならびに11月、フロレンスでのヨーロッパ社会フォーラム開催に貢献した。ヨーロッパ社会フォーラムでは、全社会運動総会が開催され、世界規模でイラク戦争に反対するアクションを起こす呼びかけ文が決議された。2003年2月15日は200万人以上が路上にあふれ、3月22日には世界中で数百万を超える人が反対行動に参加した。



2003年と2004年、CADTMは国内、国際両レベルでさらに一層活発に活動した。マリ・Siby(2003年6月)、スイス・ジュネーブ、フランス・Annemasse(7月のG8サミット反対)などの行動に参加した。2003年8月半ばのフランス、Larzacでの行動には、20万人が参加した(予想の4倍以上)。これは、2003年9月にメキシコ、カンクンの閣僚会議で妥結が予定されていたドーハ・ラウンドに反対する3日間集会だった。その他の行動では、GMOに対する市民不服従キャンペーン、パレスチナへの連帯行動、フランス国内のいくつかの運動(所得再配分的年金制度や教師・俳優・舞台技術者の労働条件防衛など)に協力した。加えて、当然ながら2003年11月の第二回ヨーロッパ社会フォーラム(パリ・Saint-Denis)、ムンバイの第四回世界社会フォーラム(2004年1月。インド開催はこれが初めて)、マリ・Kitaの第三回民衆フォーラムに参加すると共に、設立60年を数えるブレトンウッズ機関に反対する新しい国際キャンペーン「60歳?引退の時だ!」に参加した。


【新しい可能性】


CADTMは常に、複数の仲間と共に新しいプロジェクトを立ち上げ、その輪の中で協力することを旨としてきた。CADTMは国際レベルで、数々のより大きなネットワーク立ち上げや宣言文起草に責任を持つ委員会メンバーに就任してきた。1994年のマドリッド、1995年のコペンハーゲンとブリュッセル、1996年のチャパスとマニラ、1997年のモーリシャスとカラカス、1999年Saint-Denis、2000年のバンコク、ジュネーブ、ダカール、2001年から03年のポルトアレグレ、2003年ジュネーブ、2004年のムンバイとキンシャサ・・・全て、CADTMの歴史の中の大きな出来事であり、それを通して、CADTMは世界中で行われる分析作業に貢献してきた。これは民主的な再構築のプロセスの例である。このプロセスは孤立化しているという気持ちを打ち破り、新たなパートナーシップの構築へと進んで行くために大変重要な要素である。


実際、これはCADTMの比類ない特徴の一つである。即ち、そのまさに始まりの時から、CADTMは国際的な呼びかけ、また、国際主義の呼びかけを重視してきた。国際的 ー 問題の性質からして、こうならざるを得ないのは当然なのだが、国際主義もまた、反帝国主義の方向で進んでいくために絶えず追求されてきたことである。新しい国際主義は当時(1990年代始め)退潮を強いられており、再構築が必要であることは明らかであった。CADTMはベルギーで設立されたが、すでに存在する、あるいは誕生しつつある運動に常にそのドアを開いてきた、即ちATTAC(1998?99年)、ジュビリーサウス(1999年)などに対したように。世界の別の地域から「社会的なアクター」が生まれてくるごとに、彼女/彼等はいつでもCADTMに招待されたし、CADTMもそのお返しに、接触してくる海外の運動からの招待に応えて訪問した。


CADTMの国際的な性格は、その頑固なまでの地元の活動へのこだわりを妨げなかった。CADTMは教師グループ、小教区、モスク、失業者グループ、連帯委員会、労働組合など、様々な所に呼ばれて話をしたが、聴衆がだれであろうと、CADTMの回答はひとつ;問題の理解、人々の意識の覚醒、動員、である。途上国の債務に影響を与えるメカニズムについての理解が進んできたため、これらのメカニズムの擁護者は、かれらの政策を更に洗練されたものにしようとしている。CADTMはその活動領域を広げる必要に迫られた。


自分たちの足下(先進国内部)で、同様の邪悪なメカニズムが横行し、同様の破壊的政策が行われていることに目をつむり、途上国の教育や医療制度への攻撃を検証・非難したり、それらの国での民営化や失業・貧困がもたらす悲惨な結果をあげつらっても意味はない。先進国における被害が、(まだ)どこででもそれほど残忍に見える状態になってないとしても、私達は自国の破壊にも同様の固い決意で立ち向かわなくてはいけない。例えば、投機的通貨取引への国際課税を説明する時に、自国の過剰に富を蓄積している者への課税についても言及することが重要である。


別の言い方をすれば、途上国の債務状況の不公正さを読み解く能力を有する者は誰でも、産業先進国の公的債務の同様な危機的状況に対し取り組んでいく道徳的義務を持つ。北の公的債務のシステムもまた、給与労働者や小規模生産者の富を資本家階級に移転させる手段だからである。同様のことは東の諸国でも起こっている。90年代初めからCADTMは旧ソ連諸国に目を向けていた。これらの国々もまた、債務と構造調整と闘っている。そして多くの様々な運動が代替的な解決方法を模索している。


CADTMのネットワークがどれほど広く、深い領域に届いているかということを示す、もうひとつの指標がある。

闘いはいまや法と正義の領域にもちこまれた。より正確に言うなら、国際法の領域に。独裁政権との共謀や、人権と相容れない政策強要の容疑で、IMF/世銀を訴える法的アクションが行動の射程領域内に入ってきている。債務に対する市民監査実施を、CADTMやそのパートナー達の活動の中心としていかなければならない:「忌むべき債務」に対する取り組みが、他の取り組みにあいまって、国際的な関心を引きつけているからである。



CADTMの開放的アプローチは、大衆に開かれた数々の取り組みへの参加によく表されている。これには、債務の市民監査組織化や公開の債務裁判ならびに、2000年3月にスペインの市民ネットワークの主催で行われた第三世界対外債務廃絶に関する公聴会(100万人以上が参加)や、2000年9月にブラジルの社会運動のイニシアティブで行われた債務に関する住民投票(600万人以上が投票)、2003年11月に200万人以上が参加したアルゼンチンのFTAA(米州自由貿易協定)、債務、軍事化に関する「自主的」民衆投票などが含まれている


これらの実際的な取り組みは、徐々に、債務帳消しの国際的なキャンペーンに大きな影響を与えていった。そしてまた、世界の他の大陸での取り組みの成功にも大きく影響した(2002年ポルトアレグレや2003年ジュネーブでの国際民衆法廷など)。最後にCADTMのエコロジー債務の取り組みに関して触れておかなくてはならない。これによって、CADTMの活動領域は更に広まった。


CADTMの活動は大陸を越えて寄せられる科学者や大学研究者の支援によって、幾重にもその効力を倍加することができた。彼女/彼等の協力のおかげで、CADTMはその科学的分析を更に深め、「債務と開発援助に対する国際監視グループ」の設立することで、これらの課題に対するCADTMの発言権を増すことができた。この監視グループは開発援助の問題に関する科学的、技術系、政治的専門知識の宝庫であり、これまでもベルギー内外でオルタグローバリゼーションを目指す数々の組織や労働組合運動組織により認知され、利用されてきた。


【今とは違う世界を射程において】


CADTMの活動は、直面する課題に比すれば確かに控えめなものである。CADTMは「オルタグローバリゼーション運動」と称される歴史的社会プロセスに参加する数多くのアクターの一つに過ぎない。これら全てのアクターは同じ課題に立ち向かっている。支配的な新自由主義的グローバリゼーションを駆逐するために、今とは違う世界を、共に作り上げること。しかも早急に。そう、これが肝心な点だ!


私達がこれまで達成してきたことは、個々人の貢献が、現在進行中の世界変革の手段たる国際運動の発展を可能にしてきただけでなく、現在提起されている新しい問題に積極的に答えていくことも可能にするのだということを証明してきた。


今日もし、尊厳の喪失感、よりよい暮らしへの渇望、不正で頑迷な世界システムによる暴力の間で引き裂かれている人々の、あまりに正当な怒りによって世界が傷だらけになっているとしても、そして、私達が新自由主義的攻撃の圧倒的規模、もたらされる結果の広汎な劇的影響、新自由主義の構成要素(IMF、世界銀行、WTO、巨大多国籍企業、支配的金融センター、そしてG8として体現されている)の権力に直面して、無力感や「当然の」悲観論から逃れられないとしても、その外には「”強情な”楽観主義」というものもあるのだ。この楽観主義が、世界のあちこちの分野の膨大な数の人々に力を注ぎ込み、自分たちの生活を決めていく権利を再び取り戻し、一緒に共通の未来を作ろうという願いの元に人々をひとつに結びつける。もはや戦争や、適者生存や、利益や排除や世界規模の不正によって毒されることのない未来を。


「(戦争による)ロード・オブ・アース」「世界の新しいご主人様」達によって押し付けられた政策が、この地球の大多数の人々の社会的、生態系的、経済的、文化的破局を引き起こそうとしている。この人々は、いまやこの圧倒的貧困と苦難においてひとつである。実際、少なくともこれほどの規模という面では史上初めて、貧しくされた人々が、自分たちを悲惨な抑圧におとしめておこうとするシステムと闘う為の共通の戦線を作りあげようとしている。


私達はこれまでの進展を過大評価すべきでもないし、資本主義的グローバリゼーション構造をどんでん返す見通しを提供できたというわずかな勝利を無視する必要もない。もし、私達が今よりも明るい、共通の新しい未来を作っていきたいのなら、全世代からなる、様々な社会的・文化的出自の人々の結合を、断固としてラジカルな政治的ビジョンを生み出す種子として、この様々な映像を組み合わせたコラージュのような闘いの中で大きく育てていかなくてはならない。


CADTMは、そのすべての日常の活動の中で、この闘いにおける役割を果たしていく。フランスの詩人、Rene Charの言葉「世界を攪乱する勇気なく世界に飛び込む者のために割く時間も忍耐もない」のごとく。そしてこの闘いが書物の次章の内容となる。そこには、世界中のアソシエーション、NGO、社会運動や最前線で闘っている人々による多様なアピールや宣言文、分析、決定文、ポジションペーパーが掲載される。それらの文書の中にCADTM自身の立場と類似する仲間を見つけるのはたやすいことである。これらの文書は、世界システムの不正に対峙して決して引くことなく闘う全ての人々の、勇気ある断固たる拒絶を示すものだ。


【ホームグラウンドにおけるCADTM・途上国債務帳消しキャンペーン】


途上国債務の帳消し運動は、オルタグローバリゼーション運動の中心的役割を果たしている。史上最大の署名活動(1998年から2000年にかけて166カ国で集められた2400万筆の署名)の結果、一つの旗の元に世界の全ての大陸で活動する広汎な政治運動を束ねるネットワークが作られた。途上国債務の問題は新しくないが(きっかけは1982年8月、メキシコが債務不履行の決定をしようとしたことに求められる)、その名に値する国際ネットワークの形成には数年を要した。


1982年から1990年にかけて、途上国の対外債務不払いキャンペーンが、最も債務危機の影響を受けたラテンアメリカの人々の中で大きな勢いをもった。ラテンアメリカの多くの労働組合や小規模生産者組合が、大陸規模の連帯運動を立ち上げようと努力し、1985年、キューバのイニシアティブによる「支払えない債務」キャンペーンへとつながった。しかし、最終的にラテンアメリカの各政府は、自国の債務の不払いに関して、共通の立場を取ることに合意できなかった。


1980年代後半には、サブサハラ・アフリカからの債務返済をやめようという呼びかけがますます大きくなっていった。1987年のアフリカ統一機構(OAU)会合で、ブルキナ・ファソの若き大統領、トーマス・サンカラは債務帳消しのためのアフリカ・コアリションの創設を提案した。彼の暗殺以降、その呼びかけを引き継ごうというアフリカの首長は誰一人現れなかった。一方、北にもパイオニア的組織が現れた。CEDETIMは1983年、この問題を取り上げた。CADTM自身も1989年のパリのG7会合をきっかけに立ち上がったthe "Ca suffat comme ci"キャンペーンに1990年、参加した。現在、ATTACフランスの副代表を務めるスーザン・ジョージの著書は大きな衝撃を与え、初期の運動設立の力となった。


国際キャンペーンは、1990年代末、教会の支援によるジュビリー2000キャンペーンの立ち上げで新たな弾みを得た。1998年5月、ジュビリー2000UKの主導で7万人がバーミンガムのG8サミット会場を人間の鎖で包囲し、貧しい国の債務帳消しへの支持を表明した。1999年にはヨハネスブルグでジュビリーサウスが正式に発足した。フィリピンに本部を置くジュビリーサウスは、全ての南の大陸(アジア、アフリカ、ラテンアメリカ)を網羅し、各国・大陸レベルの運動をとりまとめるネットワーク組織である。


バーミンガムでの成功は、大規模な国際キャンペーン開始の嚆矢となった。2年後、ジュビリー2000キャンペーンは66カ国で展開されていた。いくつかの北の国でもネットワークが形成された。例えばNGO、労働組合、ATTACやCADTMフランスのような組織を束ねるフランスの「債務と開発プラットフォーム」、1999年にスペインで作られた市民によるネットワークRCADE(債務廃絶のための市民ネットワーク、この組織は2000年3月12日、債務帳消しに関する市民投票を組織し、100万人以上が投票した)。これらのネットワーク組織同士は、セミナー(2000年4月アムステルダム、2001年12月ブリュッセル)、国際会議(2000年のバンコクとジュネーブ、2000年12月ダカール、2000年9月リージュ、2002年2月ポルトアレグレでの民衆法廷)、デモンストレーション(特にG7やIMF・世銀総会)の場で顔を合わせている。


いくつかのネットワークは、より集約的な繋がりを打ち立てようと努力してきた。当然のことながら、運動は討論の中で様々に揺れ動く。例えば、債務帳消しには条件を付けるべきか?ジュビリーサウス、CADTM、RCADEは、唯一正当性のある条件は、債務国の民衆自身が決定したもので、かつ、帳消しで浮いた資金が社会開発の目的に使われることを保障するような条件だけだ、とする。しかし、北のいくつかのジュビリー2000キャンペーンは貸し手の組織による条件の付与を受け入れている。


その他の論争としては、IMFや世銀による新しい戦略に、批判的検証を加えながらも従うべきか、それとも単純にただ反対していくべきか?という問題や、途上国の全ての債務を帳消しの対象とするか、一定の国(最貧国)だけか?という問題などがある。


1999年以降、南の運動に弾みがついている。ペルー(1999)、エクアドル(1999?2001)、ブラジル(2000年9月)、南アフリカ(1999?2000)アルゼンチン(2001?2004)等で大きなキャンペーンが起こった。しかし、これらは債務に集中して活動するというより、運動のネットワーク化に重点が置かれていた。次々と起こる闘いには共通の基礎があったので、その中で数々の相乗効果が生まれた。金融市場、国際金融機関、WTOなどに対する闘いを、いくつかのネットワーク同士で共有することができた。


途上国債務の帳消しは、ATTACインターナショナルの中心課題でもある。同様に、50Years Enough(米国)、ブレトンウッズ・プロジェクト(英国)、Agir Ici(フランスも)も、彼等が挑戦している組織、IMF・世界銀行の構造調整政策の根っこにある債務の帳消しを要求している。国際農民組織、ビア・カンペシーナ(7000万人の小農民組織)もまた、債務をなくすためにキャンペーンを展開している。世界女性行進も彼女たちの呼び声を響かせている。巨大国際労働組合、ICFTやWCL(国際自由労働組合連合と世界労働連合)も支持を表明している。そして最後に、フォーカス・オン・ザ・グローバルサウスのような国際貿易問題に取り組むネットワークも、また債務帳消しを求めている。債務が、貸し手が南を脅迫し、国家経済を完全に開放させる手段として使われているからである。

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